南出メリヤス創業70年の歩み
2024年3月で私たちは創業70年となりました。
そこで私たちのこれまでの歩みを少しだけですがご紹介できればと思います。
時は1953年にさかのぼります。
戦争が終わり、変わりゆく日本に、国民が胸を躍らせていた頃です。
しかし当時の生活環境は現代のようなものではなく、衛生面など不安要素も多く存在しました。
南出メリヤス株式会社の創業者、南出登は「清潔で心地よい服を皆に届けたい」という思いから、肌着の縫製工場の創業を決意しました。
しかしながら、当時は政府の統制下にあり、洋服の材料も制限され、 素材の入手も簡単ではない時代でした。
また、繊維産業の復興も遅れており、工場の確保や、大阪での人材確保も困難でした。
そこで、創業者・南出登の妻である南出恵美子が、九州出身であったことから、
九州から人材を集めることに成功し、さまざまな困難を乗り越え、
ようやく大阪で肌着の縫製工場を設立することができたのです。
そこから日本の目覚ましい経済発展と共に私たちの工場も忙しくなり、
肌着だけでなくプリントや刺繡を置いたカットソーを企画販売することで、
右肩上がりに成長していきました。
しかし1990年代に入りバブルが崩壊すると共に、日本のアパレル事情は大きく変化していきます。
生産の拠点は日本から中国や東南アジアに移り、服の価格がどんどん下がっていきました。
それと同時に私たちの売上も年間数億円規模で下がり続けていきました。
それは常に真綿で首を締められるような、生きた心地のしない時期でした。
そして数年で売り上げはバブル前の半分ほどになってしまいました。
そうなる数年前(2008年)に立ち上げていたのがNARU FACTORYです。
製品を洗ってシワを付けてお客様にお届けするという事を会社で初めて行ったのが
NARU FACTORYです。
当時は服と言えばシワが無いように綺麗にアイロンをして納めるというのが当然だったため、多くのスタッフから「これで大丈夫か?」と不安に思われました。
ですが洗いざらしの、くたっとした風合いに私たちは拘りました。
NARU FACTORYのトレードマークにもなっている 現在の茶色のシワシワの下げ札は洗いざらしの風合いで行くことへの覚悟の表れでした。
そのころは私たちが良く言われていたことは 「カットソーって定食のご飯みたいなものだよね」という言葉です。
ファッションでは布帛アイテムであるパンツやジャケットが主菜でカットソーはご飯なのでメインにはなれない、という意味でした。
私はそう言われるのがとても嫌でした。
ご飯屋さんだって立派な定食を作れるのだと証明したい。
世界観をフルアイテムで提案できるブランドになりたい。
その思いからブラウスやパンツにチャレンジすることにしました。
しかし布帛アイテムはカットソーとは縫製仕様やミシン・服のパターンが大きく異なり多くの事を一から学び直す必要がありました。
それから数年、今では半分以上が布帛アイテムであり、ダウンコートの縫製までを行うサラブレッドの縫製工場になりました。
駆け足となりましたが私たちが70年間に歩んできた道のりをお話しいたしました。
今の南出メリヤスとNARU FACTORYがあるのも、いつも贔屓にしていただける皆様のおかげと心より感謝いたします。
これからも皆様とともに歩んでいけるブランドであれるよう努力していきたいと思います。
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